izumin.ブログにお越しいただきまして、ありがとうございます。
このブログでは、
過去の壮絶な経験を乗り越え、
サイキックリーダーとして生きる今の私に至るまでの
実体験を記録しています。
虐待、重度の難聴、いじめ、痴漢、借金地獄、
両親からの妾斡旋、自殺未遂、自己破産──
とても重たい内容を含みますが、
あくまで私個人の人生の記録です。
その点をご理解いただいた上で、
読み進めていただければ幸いです。
全治6年。重度の両耳難聴を発症
母の態度がはっきりと変化し始めたのは、
この頃からでした。
兄に対する態度と、
私に対する態度は、明らかに違っていました。
兄は家の跡取り。
私は、いずれ嫁に行く存在。
「兄より目立つな」
「兄のお下がりで我慢しなさい」
それが当たり前のように繰り返されていました。
私は負けん気が強い一方で、
とても繊細で、身体の弱い子どもでした。
年少の頃から聴力が弱く、
両耳はまるで深い水の中で
会話を聞いているような感覚でした。
やがて、
原因不明の重度の両耳難聴と診断されます。
学校でも居場所を失っていく
小学校へ入学してからも、
授業中の声や、にぎやかな会話は
少し距離が離れると聞こえません。
友達から声をかけられても聞こえない。
聞こえないから返事ができない。
そのことが、
次第にいじめの対象になっていきました。
小学3年生のとき、
私は勇気を振り絞って先生に相談しました。
「いじめられているのがつらい」
「身体が大きいからといって、健康とは限らない」
助けを求めた告白でした。
けれど先生は、
「あなたに原因がある」と取り合わず、
私が無視されている現実を
ただ見過ごしました。
やがて機嫌の悪いときには、
クラスの前で私を笑いものにするようになります。
その瞬間、
私は先生に裏切られたと感じました。
教室の中に、
私の居場所は完全になくなっていました。
家にも、学校にも、居場所がなかった
私は、
ただ息をしているだけの人形のようになりました。
家に帰れば、
「躾」と呼ばれる虐待と、
宗教による抑圧的な生活。
「私が何をしたというの?」
「なぜ、私ばかりこんな目に遭うの?」
そう叫びたくても、
叫ぶ場所はありませんでした。
人格形成において
最も大切な時期に、
私は
誰からも必要とされていない
と、強く感じながら過ごしていました。
それでも、治ると信じていた
それでも私は、
毎日の治療を欠かしませんでした。
「絶対に治る」
そう信じていました。
耳が聞こえるようになったら、
どれだけ楽しいだろう。
友達と会話をして、
笑い合える日を
毎日想像していました。
年少から6年の月日が経ち、
小学5年生の頃、
ようやく日常生活を送れる聴力が戻ってきました。
最後に
本日のブログは、
実の両親から心身ともに虐待を受けた子どもが、
病気を発症するまでの記録です。
とても重たい内容ではありますが、
あくまで私自身の人生の一部です。
この記録が、
誰かの理解や共感を求めるためではなく、
事実としてここに残されている
ということをお伝えしておきます。
最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。