izumin.ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
このブログでは、
私自身が体験してきた人生の記録を、
ありのまま綴っています。
これは誰かを責めるための記事でも、
何かを証明するための記事でもありません。
ただ、
私という人間が、どのような環境で育ち、
どのように心を失い、
どのように生き延びてきたのか
その事実を、記録として残しています。
― 生い立ち ―
家族構成と育った環境
両親と兄妹の、5人家族。
父は新興宗教の信仰者。
母は、虐待を繰り返し、
常に貧困と怒りを抱えた人でした。
兄は2つ年上。
妹は8つ年下。
治安の悪い地域で、借家暮らし。
安心できる居場所は、どこにもありませんでした。
両親の歪んだ育て方が残したもの
家庭でも、学校でも、
自分の気持ちを伝えることが怖かった。
思ったことを口にする=嫌われること。
自分を表現する=罰を受けること。
そんな感覚が、
幼い頃から心にこびりついていました。
その結果、
コミュニケーションに強い恐怖を抱えるようになり、
長い年月、その呪縛から抜け出せずにいました。
40代になって、ようやく
この感覚が「異常な環境で作られたもの」だと
理解できるようになりました。
「躾」という名の虐待
年長の頃から、
母の子育ての負担は限界を超えていったように思います。
母の機嫌が悪くなると、
手を抓ることから始まり、
頬を叩く、
布団たたきで殴る、
そうした行為が日常になっていきました。
その虐待は、父には隠されていました。
父があざに気づくと、
母は「外で転んだ」と嘘をつきました。
私は、
何が正しいのかも分からず、
誰に助けを求めていいのかも分からず、
ただ一つ、
早く、元の母に戻ってほしい
その思いだけで、この時代を生きていました。
虐待をする心について
虐待をしている人は、
多くの場合、理性を失っています。
悪いことだと分かっていても、
止められない。
自分自身が壊れてしまった悲しさ、
叫び、辛さ、もどかしさ。
それらの感情が溢れ出し、
手のつけようがなくなってしまうのです。
決して、虐待を擁護しているわけではありません。
ただ一つ、
はっきり言えることがあります。
「忙しい」という字は、
心を亡くすと書きます。
心を失った状態で生きるということ
仕事、育児、人間関係、生活。
理性を失うほど、
心を置き去りにした状態で
生きている人は、決して少なくありません。
当時の私も、まさにそうでした。
自分の感情がどこにあるのか分からず、
何が苦しいのかも言葉にできず、
ただ耐えることだけが、生きる術でした。
今、振り返って思うこと
このブログに書いていることは、
すべて私個人の過去です。
同じ体験をしてほしいわけでも、
同じ答えに辿り着いてほしいわけでもありません。
ただ、
こういう人生も、確かに存在した
という事実を、
私はここに残しておきたかった。
それだけです。
本日も、
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。